メロディキャンドル成功の影に ~第六話~

メロディキャンドルという商品をご存じだろうか?
これは披露宴などに使われるブライダル用のキャンドルでハートなどを形取ったたくさんのキャンドルで構成、一本に点火すると次々にキャンドルに点火され、最後は形取ったすべてのキャンドルに火が点るというもの。
今ではその存在感がポピュラーであるかのように披露宴などで定番化しているが、もちろん初登場の際には受け入れるに難しい環境だった。なにしろ社内でさえ、『うちはキャンドル屋だ。手品師じゃない!』という声が上がったほどなのだから。
井上が切り開いた東京進出の道のりは好調に思えた。東京事務所は倉庫を設け、社員も増えた。後発だったペガサスが好調になれば、当然、それまでブライダル関係に商品を納めていた企業は売り上げが減る。その売り上げを回復させるためにはどうしたらいいか?ペガサスが好調を続けて2~3年後、競合が考えてきた手段は商品のダンピングだった。
「競合相手がダンピングしてきたとき、今まで以上に商品開発に力を入れました。同じ商品なら品質やデザインに関して絶対負けないという自負がありましたし、同じようにダンピングすることは自分たちの首を絞めるようなものです。新しいブライダルの商品を開発することで、確固たる基盤を作ろう、と考えたのです」
と井上は語る。戦前、軍需のために岡山に数多くあったロウソク工場は1軒を残して閉鎖することを軍部が決めた。そのとき、ペガサスの前身である井上商店が後発にも関わらず、唯一のロウソク工場として残されたのは軍部が認めた品質のよさだった。その精神は東京進出の時でも変わることがなかった。そして出てきたアイデアが、メロディキャンドルだった。
じつはこのメロディキャンドル、アイデアとして登場したのは今回が初めてではない。
さかのぼること3年前、新商品アイデアを社内で募集したときが初出。しかし、その時の反応が冒頭で紹介した『手品師じゃない!』の一言。あえなく没となった。
「すでに東京へ進出して演出するブライダルというものが定着し始めていました。メロディキャンドルを受け入れる土壌が育ってきていると感じたのです。それが、開発着手になったきっかけですね」
メロディキャンドルを実現させるために、もっとも難しいのは導火線。キャンドルを連続着火させるためのオリジナルの導火線を作るために、あらゆるものを実験で試した、と井上は言う。
「おそらく100種類以上のものを試したと思いますよ。そうやって作った導火線ですが、最初は導火線が固く、火をつけるとピンッ!と跳ねて次のキャンドルに着火しないんですよ。これには営業が難色を示しました。『結婚というおめでたい席で消えてしまうキャンドルなんて、よう売れん!』と言われました」
99%の営業が反対する中で、たった1人の営業マンが口を開いた。『これ、面白いですよ。私は売れると思います』。もちろん、その営業マンに売るための目論見があったわけではない。だが直感的な営業マンとしての勘が働いたのだろう。その営業マンはさっそく、火が途切れてしまうメロディキャンドルを持って結婚式場を回った。そして、その会話から演出によるナレーションで盛り上げる方法を思いついた。こんな風に。
メロディキャンドルに着火後、最初に火が消えたとき、すかさず司会者がナレーションを入れる。
『人生、いいときも苦しいときもある。そんな時は2人で手を結び合ってまた愛の炎を燃やしましょう』
もちろん、再着火後、また消えてしまう。そこでまたナレーション。
『人生、苦しいときは一度や二度じゃありません!』
最後のキャンドルに火が点ると、司会者が拍手を求めずとも大きな拍手に包まれた。メロディキャンドルは受け入れられた。当時、消えてしまうことが当たり前だったメロディキャンドル。しかし、そこに商品の面白さを感じた営業マンの努力が実った。
「とにかく売ってやろう、という営業の執念みたいなものを感じましたね」
と井上は語る。それから改良を重ね、メロディキャンドルはけっして途中で消えない工夫が凝らされた。1981年には特許を出願。マジックキャンドルに次ぎ、また創意工夫の中からメロディキャンドルというヒット商品が生まれた。










